長らく中断したが、再開させていただく。今後はバックナンバーが読みやすいように文末にリンクをつけることとする。 さて、明治37年6月、立て続けに一高を破った慶應義塾と早稲田は以後、最大の好敵手となっていく。
野球史からの未来展望
もう一つの“明治野球”|野球史からの未来展望008
これまで見てきたように、日本の野球は、明治中後期、第一高等学校が華々しく活躍する中で人気を博してきた。また、その後につながる「日本野球」の考え方も一高によって培われた。しかし、少し前には、これとは異なる野球をしていた人々もいたのだ。
「日本野球」の淵源となった一高野球|野球史からの未来展望007
一高生の多くは、卒業すれば東京帝国大学に進む。そして社会に出るとすぐに官庁や学校などの幹部ポストに収まった。彼らは「富国強兵」のリーダーとなることが約束されていた。まさにエリート中のエリートだった。
一高時代 その二|野球史からの未来展望006
一高時代、後半について戦績を追いかける。
一高時代 その一|野球史からの未来展望005
1886(明治19)年に創設された第一高等中学は、1894(明治27)年に第一高等学校=一高となった。今の高等学校ではなく、大学の教養部に相当する。
正岡子規が輝いた「野球」|野球史からの未来展望004
まだ明治時代半ば。でももう少しお付き合い願いたい。私は正岡子規(1867-1902)の野球というと、弟子の高浜虚子(1873-1959)のこのエッセイを思い出す。
本格的な野球の根付き|野球史からの未来展望003
1872~3(明治5~6)年頃に日本に野球をもたらした「お雇い外国人」や、野球用具を持ち帰った留学生たちと、1876(明治9)年にアメリカから帰った平岡煕(ひろし1856-1934)は、どこが違っていたのだろうか。
素手でボールを追いかけた時代|野球史からの未来展望002
さて、ホーレス・ウィルソンら「お雇い外国人」が持ち込んだ「野球」とは、どんなものだったのだろうか。
野球伝来は1873年|野球史からの未来展望001
今日から、日本に根付いた野球が、今の姿になるまでを追いかけていきたいと思う。 ただの「野球史」ではなく「どんな人がやっていたのか」「当時の社会的状況はどうだったのか」などの背景も見ていく。 今のNPBのあり様、体質がどのように培われてきたかを知るよすがにした